山吹は慣れた手つきで、進藤の店のドアを開く。
そのドアには薄っすらと『BAR AfterDinner』と描かれている。
誰が気がつくのだろうか。といつもそう思う。
いらっしゃい。最近よく来るな。
来ちゃダメなのか?売り上げには貢献しているだろう。
俺には一銭も入ってこないからな。
そう言って、山吹がカウンターに着くと進藤はグラスを二つ用意し、琥珀色の液体を注ぎ込
まだ注文はしていないよ。
どうせ散々悩んだ挙句、いつものこの酒だろうに。
ラフロイグ、そうラベルには書かれている。山吹は言い返さずにグラスを手に取る。
・・・で白波ちゃんとはうまくやってるか?
この前の事か?勝手に復活してきたよ。
そりゃよかった。心配して損だったな。
心配はしていない。そう山吹は答える。
まぁ多少嫌な目を見ても、仕事の報告以外で訪ねて来るなら、決して悪くは思われてないだろうに。
どうだかな。でもまぁ勉強はしているみたいだよ。
真面目な子だからな。追い詰めすぎないようにな。お前とは違うんだから。指導しているとつい自分の物差しで相手を図って、結局指摘で終わってしまう事もある。
なんだ、いきなり説教か?
助言だよ。そして白波ちゃんの事は何かわかったか?
ふむ。と山吹は顎先に手を当てる。口に出そうかどうかを考えている。いつもの仕草だと進藤はそう思う。
どうやらお菓子が好きらしい。いつもバクバクと口に運ぶ。この前何を勘違いしたのか、甘いものが苦手な僕にお裾分けをしていた。
そうか。他には?
・・・・お茶が好きらしい。
そこで山吹は語るのをやめる。進藤はがっくりと肩を落とす。
中高生の男子では無いんだから。
うるさいな。そんな会話をしている暇など無いよ。業務のフィードバック、基礎からの講義。やる事は沢山だ。
お前がな。彼女では無い。日常会話とかはしないのか?
だからそんな暇はない。
ふん。と山吹は鼻先を上げて視線を逸らす。これは頭でも理解していても口には出したくない。そんな仕草だと進藤は見ていた。
業務態度や知識以外にも後輩の事を知らないと、一方的な押し付けになると思うんだがね。何事も。
そんな会話をして、パワハラだ、とかセクハラだとか言われるのは関の山だろうに。
それは関係性の問題だろうに。それに白波ちゃんはそんな子か?
山吹は考える。幾度も休憩室で講義にもよく似たフィードバックを行った。不快であるならばとっくに来てはいないだろう。
まぁ。度を過ぎれば薫の言う通りに相手は不快になるのかもしれない。だけどもそれは互いの心の持ちようだろう。ちょっとした声掛けで相手の気の持ち様は随分と違う。それは患者指導も後輩指導も同じだろうに。
それは分かっているよ。やっているつもりだが、やはり難しいな。
歳をとると純粋な気持ちも忘れるものだな。距離が離れれば離れるほど。教えれば教えるほど逆に相手が見えなくなるよ。
かといって友達では指導はできないだろう。
それも患者指導と同じだな。
そうだな。と山吹は空になったグラスを傾け、目の前の進藤に向けてカウンターを滑らす。進藤は再びグラスに琥珀色の液体を注ぐ。
共にこの年齢となると同期入社と言えど、初めての病院という訳でもない。山吹にも指導者が居たのは知っているし一度会った事もある。
とても騒がしい夜だった事もまた覚えている。
とにかく、そろそろ昔の指導者の事を思い出しても良いのではないか?そこから自分がどうするのかを決めるのも一つだろう。
それは思い出したくはない。
無理に、とは言わないよ。
進藤は棚を開く。黒い箱から何やら取り出し白い小皿に並べる。
山吹は首を傾げる。
チャームを出し忘れていたよ。甘いのが苦手なお前でも、これくらいなら食べられるだろう。
なんだこれは?
山吹は小皿に並べられた細長いチョコレートを眉を顰めて口に運ぶ。甘いというより少し苦い。オレンジの香りが口に広がる
オレンジピールのチョコレートだよ。後で店を教えてやるから、お返しでもしたらどうだ。
なんで僕がそんな事を?
お菓子を貰ったのだろう?お返しするのが筋だ。
そういうものか?まぁ気が向いたなら。
そうかと。進藤はそう返す。なかなかに不器用なこの友人も努力はしているらしい。チョコレートを齧る友人を眺めつつ進藤もまたグラスを空にする。
山吹薫のメモ 2
・後輩を自分の物差しで測らず指導する必要がある。
・教えれば教えるほどお互いの立ち位置がわからなくなる。
・患者指導の時と同じように互いに信頼を得なければならない。
・菓子のお返しをするかどうかは検討課題である。
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